【生い立ち】23歳までの僕と、今持っている夢

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僕は昔、バスケをやっていて自分で言うのもあれだけど少学〜中学の頃までは、結構バスケが上手かった。

自分の住む千葉県では有名な方で、小さな枠だけど雑誌にも乗ったこともあった。県の副主将にも選ばれ、母校を40年ぶりの関東に2回連れて行ったりと自分の実力にも多少の自信があった。

バスケが面白くて大好きで毎日練習に明け暮れる日々を送っていた。だけど僕は、高校時代に挫折しそのバスケを辞めた。

小学5年生から毎日やっていたバスケを辞めた。

 

 

小学生時代・・・兄に憧れてバスケを始めた

 

僕は心室中隔欠損症という持病を持ち、心臓が悪かったので小さい頃は激しい運動は控えるように言われていた。

小学生といえば、足の早い子や運動のできる子が人気ものになるので

サッカーや野球の習い事をしていて運動会のリレーで活躍している子達が羨ましかった。

体も小さく勉強が得意なわけでもなく、僕はなんの取り柄もなかった。

そんな僕には4つ上の兄がいる。勉強もできて、顔も良くて女の子のモテて身長が高くて運動神経もとてもいい兄だ。

兄もバスケで県の代表に選ばれていたし、インターハイにも出場している。

そんな兄がバスケを始めていたので、兄に少しでも近づきたくて追い越したくて小学4年生の時に僕もバスケを始めた

 

僕の世界を180度変えたバスケットボール

 

(運動音痴だった少年が中学時代には千葉県の副キャンプに選ばれた)

バスケを始めてから僕の生活は180度変わった。

毎日家でオモチャや囲碁をしていた僕が毎日クラブチームの友達と練習するようになった。

外に行ってドリブルの練習をしたり電信柱に向かってシュートの練習をした。

僕の家は旅行などに全く行かないので、何もすることがなく嫌いだった夏休みが毎日バスケの練習ができる時間に変わり本当に毎日が楽しかった。

バスケが少しづつ得意になって、バスケをきっかけに友達も増えて、自分に自信もついて足も学校で1番早くもなった。根暗だった自分を本当に変えてくれた。

そして、最初にも書いたように小学生では千葉県で優勝。中学では千葉県選抜にも選ばれた。根暗で引きこもりがちで、友達もいなく何の取り柄もなかった僕に全てをくれた。

バスケットボールは僕の全てだった。

 

医者を目指すかバスケットボールに打ち込むか

 

僕は高校に進学する時にバスケに専念するか、学業に専念するか非常に悩んでいた。僕の母は関節リウマチという病気を持っており、僕は小さい頃から母の病気を治してあげたいという夢があった。だから、高校では勉強を頑張って大学は医学部か薬学部に行って病気を治す研究がしたいと考えていた。

しかし、バスケに専念したいと思った出来事があった。

中学生最後の大会の時。僕が対戦したチームの保護者が僕のところに来てくれた時だ。知り合いでもなんでもなかった保護者の方が、その小学2年生ぐらいの小さな子どもを連れてきてくれて

この子、きよひろ君を見てミニバスを始めたんですよ」と言ってくれた。ゆう君という男の子だった。

全国でもの凄い活躍をしていたわけでも、一試合50点とかとる選手でもない僕に、こんな事を言ってくれたことが本当に嬉しくて、僕にとって憧れの兄がいるように、この子にとって憧れでありたいと思った為に僕は高校でバスケットをやる洗濯をした。

しかし、僕は高校でバスケを辞めた。あの小さい子の期待も僕にバスケを教えてくれた人、応援してくれていた人全ての期待を裏切った。

 

高校時代・・・挫折

 

 

高校では正直言って、全く活躍できなかった。実力不足、度重なるケガ、高校バスケに自分の力が通用しなかった。

知名度や経歴だけは部の他の仲間や先輩達よりもあった為に、大量のやっかみや”いじり”を受けた。顧問も昔ながらの体育会系の方だった為に、とにかくぶん殴られたりぶっ飛ばされた。

謎の先輩の1時間前集合という伝統、髪型は五厘、部活の環境、自分の実力の無さへの呆れ、心身が苦しくなり僕は逃げた、部活を辞めた。

逆境を跳ね返せないほどの力しかなかった自分が悪いのはわかってるけど、今までの自分を形成してくれてきたバスケを失ったのは本当に辛かった。

 

そして何より、部活をやめる際に顧問に言われた

部活を中途半端に辞めて、変に勉強に走ったところでそんな奴に未来はない。お前は東大なんかに絶対に入れないし、政治家みたいに国を動かすような人間にもなれない。落ちこぼれやがって、それを許す親もどうかしている

という言葉が、僕の胸に深く突き刺さった。

全く活躍もできず、部活をやめた。周りからは何度も落ちこぼれと言われた。

先輩たちからも何度も面と向かって言われた。何もなかった僕に全てを与えてくれたバスケを失った。

あの時、僕という人間を構成してくれていた大きな柱を失った。自分が何者かわからなくなった。

 

東日本大震災と原発事故

 

僕が高校1年生だった頃、東北に大震災が襲った。僕の両親の実家は福島で、特に母は浪江町という町の出身だ。浪江町は原発で人々が住めなくなった町だ。

僕の家は家族旅行に行くことが全くなかった。僕の記憶にどこか旅行に言った記憶はほとんどない。唯一、旅行のようなものとしてあったのが夏のお盆に母の実家に帰ることぐらいだった。

その唯一の場所がなくなった。唯一の夏の楽しみだった場所がなくなった。母は友人の家の多くが流されたと言っていた。初めて母が泣いているところを見た。

だからそれ以上迷惑とか心配をかけまいと振る舞っていた。でもそれも虚しく失敗した。

 

僕は落ちこぼれ

 

 

顧問や周りに言われた罵倒のような言葉が何度も頭の中を支配した、

ああ、俺は落ちこぼれなんだと。と思っていた。

なら、こんな落ちこぼれに期待してくれた人たちは何なんだろうと思った。

現実を受け入れたくなくて自分が凄いやつだと嘘をつくようになった。落ちこぼれだと認められなくて虚構で自分を固めていた。

大したことがない自分を認めるのが、周りの人間達にそう思われることが心の底から怖かった。化けの皮が剥がれているのにも関わらず必死に押さえ込んでいるような、現実が僕の身体を突き刺していた。

だって僕が僕自身をくだらない大したことない人間だと認めてしまったら、俺を見てバスケを始めたと言ってくれたあの子はなんなんだとなるから。何もなかった自分の全てを作ってくれたものが全部なくなると思ったから。

 

いろいろな葛藤が頭の中を交差していた。どうしたらいいのかわからなかった。いっそ自殺して、あいつらを恨んだこと遺書に書いて残してやろうとかも思っていた。

誰に相談することもできず、ずっと1人で苦しかった。孤独だった。辛かった。

(今思うとよく頑張ったと思う。大げさかもしれないかど生きてくれてありがとうですな。)

 

大学時代・・・バスケコーチと子供達との出会い

 

 

それでも時間は進んで僕は大学生となっていた。カフェでバイトしたり学校を適度にサボったりと普通の大学生活を送っていた。

そんな毎日を過ごしつつある日、昔のバスケのチームメイトからバスケのコーチの誘いを受けた。千葉ジェッツというプロバスケットチームに所属する中高生のコーチとしてのバイトの話しだった。

高校の途中でやめた俺なんかが子供の指導なんかをしていいのかと葛藤したけれど、挫折を経験したからこそわかることがたくさんあった

子供たちが悩んだり上手くいかないことが、凄いわかるようになっていた。落ちこぼれだからこそできることがあった。

 

僕なんかが役に立てることがあるという事が本当に嬉しかったし、何よりも純粋にバスケを楽しむこと、ひたむきに頑張ることを子供達から教わった

こんなことを言うのは完全に駄目指導者だけど、子供たちに教える以上に僕が子供達にたくさんのことを教わった。

この子達と過ごすことで僕は救われた

それと同時に使命感のようなものを感じるようになった。

昔の僕のような思い、辛い思いをしている子がいたら全力で助けてあげたいなと思うようになった。

(助けるという表現はおこがましいかもしれないが)

僕が本当にどん底にいたときに支えてくれた人がいたように、僕もそういう存在になりたいと思った。

僕の見える範囲にいる子は全員ハッピーじゃなきゃ嫌だ。

そう考えるようになって、バスケの活動に加え教育格差に取り組むNPO法人(Motivation Maker)の活動も行うようになっていた。

 

やっぱり挑戦がしたい

 

 

かつての僕と同じように日々頑張る教え子達を見ているうちに、俺も何か挑戦してみたいと思い、高校バスケの顧問を見返すべく、東大の院に行って官僚になってやろうと挑戦した。日本一の学閥に入って日本を変えるようなことをしでかしてやろうと思うようになった。

しかし、これもまた失敗したw 全くもって漫画やドラマのように上手くいかないwww

(あんまりに上手くいかないから笑ってしまう笑 本当に才能がないのだろうと思う実に参った)

だけど、今回の東大の院試では筆記試験だけ受かることができた。

ほんの少しだけど、成功体験を得ることができた。俺は少しだけ前に進むことができた。

日本の最高学府にちょっとだけ太刀打ちできた。ほんの小さな、小さな1を感じることができた。

試験落ちているのに、院試のおかげで就活もせずに行くところも何もないのに、何故か僕ならやれんじゃねと確信した。

僕は必ず将来成功できると確信した。

だから今はとにかく色々な挑戦がしたいと思う。もっともっと挑戦して挑戦して数撃ちゃいつか当たるでしょって感じだ。そしていつかでっかいことを成し遂げたいと思っている。

 

今の夢は大谷翔平よりも有名になること

 

 

今の夢は同い年である【大谷翔平よりも有名になること

彼は本当に凄いと思う。最高の才能があるのにそれに加え最高の努力をし、自分の道を進んでいる。

そして彼の前人未到のパフォーマンスに何万もの人々が感動している。日本のみならずに世界の人々に感動と興奮を与える彼は世界最強の男だ

同い年に大谷翔平がいてくれてよかった。彼が活躍してくれるおかげで自分も頑張ろうと力をもらえる。

そんな彼のように、僕も多くの人間に影響を与える人間になりたいと思う。

あの時に僕なんかを見てバスケを始めたと言ってくれたあの子に、渡邊清大を見てバスケを初めて良かったと思ってほしいから

また、辛い時に声をかけてくれた方々、支えてくれた友人、家族にできることは何かな?と考えた時にやっぱり有名になることが思い浮かんだ。

あいつは自慢の友達ですみたいに思ってくれたら最高だなーと

大変な挑戦だ。正直お前なんかにそんなの絶対無理だと言われるのでこんな誰も見ないであろうブログでさえいいたくない笑

でも僕の人生をかけて挑戦してやろうと思うよ。

 

少しでも多くの笑顔が溢れる世界を作りたい

 

多くの人にハッピーを送れるような人間になりたい。

辛い思いをしている人がいるのなら、何かできることがあるのなら、おこがましいかもしれなくても手を差し伸ばせるような人間でありたい

僕が存在しない世界よりも、HAPPYな世界を作りたい。

あいつと関わって良かったと少しでも多くの人に思ってもらいたい。

世界を少しでもより良い方向へ進めたい。

 

僕は今、何者でもないけれど誰かにとっての何者かでなれるように努力をし続けたいと思う。

 

方法もなんもわからないけれど、やってやろうと思う。

 

 

 

チェスト!!

 

 

 

 

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